GINZA SIX 裏 / レナ・レスボワール 上
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娘の話

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ハワイの空はあいかわらず抜けるように青く、海風のそよぐ浜辺は、まさに地上の楽園です。
大学を卒業したばかりの娘を海外へ出して、すでに3年以上が過ぎました。
その間に、勉強が大嫌いだったはずの娘は、トロント大学で、
生まれて初めて自ら勉強に打ち込み、今年は、
ハワイで開かれたIADRの学会で発表するまでに至りました。
北海道医療大学歯学部へ入った時、私は30歳、両親に預けた娘は2歳そこそこでした。
そのため、彼女は私の母を実の母親と思っていたようで、
大学の休みに帰ってきた私を「お姉ちゃん」と呼びました。
そのうち、休みが終わる頃になると、「ママ、ママ」と1日中私を追い回し、
大学へ帰る日(車を運転してフェリーで往復していた)、
ハンドルを握った私は、思わずワイパーを動かしていました。
雨ではなく、涙だったのに・・・・・・。
振り向くと、小さな娘は大きなタオルで顔を隠し、全身で泣いているのです。
こんな私たちを見るにしのびず、母は私に「帰ってくるな」と言いました。
そんな6年が過ぎ、卒業すると同時に、私は入れ歯の勉強のため東京へ出ました。
その時、小学生になっていた娘は泣きながら怒り、こう言ったのです。
「ママ、私はママを6年間待ったのに、どうして帰ってきてくれないの。
どうして東京へ行くの?」
絶句状態になりながら、私は答えました。
「ママは、どうしてもやりたいことがあるの。
それは、今やっておかないと、あらためてできないことなのよ。
あなたが大きくなったとき、ママなんかよりもっともっと好きな人ができたり、
やりたいことがでてきたら、ママは誰よりも何よりも応援するから、
今はあなたがママを応援してほしいの。わかってね。お願い!」
「いやだ、いやだ! そんなのいやだ! わかんない!」
それでも私は東京へ出ました。
2年間のつもりでした。
が、気がつくと、20年を過ぎてしまいました。
ある時、娘の小学校の運動会に合わせて実家へ帰り、朝からお弁当を作り、
応援に行きました。
クラスごとに大応援です。
お昼時になりました。
すると、子供たちは親のひざにベッタリと座り、嬉しそうにお弁当を食べ始めます。
と、娘は、私の作ったサンドイッチをみんなに配りながら、わざわざ言いました。
「ママが作ったの、ハイ!」
「ママが作ったの、ハイ!」
娘はいつも、どんな気持ちでお弁当を食べていたのでしょう。
確かに私に代わる母が来てくれていたとは思いますが・・・・・。
「よかったね。今日はママと一緒なのね。これはおばちゃんのところのおにぎりよ。ハイ!」
「ありがとう」
すまないことをしている私を、だまって許してくれている娘の背中を
力いっぱい抱きしめてやりたい衝動で、涙があふれました。
時々、娘は学校が休みに入ると、東京の私のところへ出てきました。
そんな時、夜、8時、9時まで働く私を待ちくたびれて院長室で寝ている娘を見るに見かねて、
患者さんがご自宅へ連れて行ってくださいました。
そして夕食を食べさせて、遊んでさえくださったのです。
ハワイで久しぶりに会った娘はすっかり大人っぽく見えました。
私が持っていったスーツを着て質問に答えています。
が、突然「質問が恐い」とどこかへ逃げていってしまいました。
「ママが代わりに答えておいてよ」と捨てゼリフを吐いて。
つまり私が期待していたほど、あまり成長はしていないのかもしれません。
でも<不憫>というカケラのひとかけもない楽しそうな娘を見ていると、
私は嬉しくなりました。
時差ボケで診療をしていると、娘をよく知る患者さんに言われました。
「いつ日本に帰っていらっしゃるんですか?
帰ってこられたら、ちらし寿司を作ってきましょうね」
「まあ、ありがとうございます。
娘はIさんのちらし寿司が大好きですから、喜ぶと思います。」
私は娘にとって決していい母親ではありませんでした。
私の友人は皆、「あなたが育てなかったから、いい子に育ったのよ」と言います。
確かに私は自分自身の生きがいを見つけることにいつも一生懸命で、
娘を生きがいにするほどの余裕はありませんでした。
そして、完璧なまでの反面教師だったと思います。
でも、この思いきりの良さで、ある時、娘にこう言われました。
「ママ、ママは本当は男じゃあないの・・・・・・? いつ手術したの?」
「いつからそんなふうに思っていたの?」
「ずーっと前から」
「アタリ!! ママは本当は男よ!」
「ギャー、やっぱり男なんだ!!」
「アホか!!」

カテゴリー:ジャンヌダルクは燃えている  投稿日:2008年5月2日