vol.1 心の準備

『歯医者さんの待合室』(クインテッセンス出版)という本の中で、
創刊からアフリカの写真とコメントを1年間載せ、
続けて3年間はドタバタ訪問診療日記「ジャンヌダルクは燃えている」を書き、
次に日常の私生活をぶっちゃけた「本日休診」を更に3年間連載しました。
大いに笑われながらホッとしたところで、
日本歯科新聞の『デンタル小町』の初代4名に選ばれて、
これまた3年続き、人気コラムとなったところで、
次の4名の方にバトンタッチをし、
この辺で本格的に小説を書こうかとボールペンを万年筆に変えた途端、
コムネットの菊池社長から「何か書かないか?」との問い掛け…。
元来、書くことが大好きな私は「アイヨ!!」と言ってしまったものの、
タイトルが決まらない。
─物申すおばさん─
─書くわヨ! 細木ではなく天井久代編─
 といろいろと考えあぐねておりました。
 そういえば、私は自分のホームページで
「ウップス! 天ママ ディド イット アゲイン!
( Oops! 天mama did it again !)」
というブログを持っています。
“天ママ”とは30歳で歯学部へ入学した時、
0歳以上年齢差のある同級生から“天ママ”
あるいは“天ババ”と親しみを込めて(?)呼ばれていたということで、
─天ママstyle─
でやっていくことになりました。
 よろしくお願いいたします。
ここまで書いているうちに、
親友の四十九日の法要のため同級生代表として札幌の友人と2人で、
急に京都へ行くことになりました。
 満47歳の突然死。
 一人息子は中学1年生の13歳。
彼は実に、人の面倒見がよくて、
人望厚く、多くの方々の力となっていたようです。
突然死にもかかわらず、通夜、告別式には京都中の歯科医師はもとより、
各界の著名な方々、そして祇園の芸子、舞子、エトセトラ…。
 彼の幅広い人間性と付き合いの広さに驚かされました。
 卒業から20数年過ぎますと、同級生の何人かは他界してしまいましたが…。
彼の死は特別で、ショックも大きく、しばらくの間は仕事も手に付かず、
共通の友人たちとメールで悲しく寂しい心の慰め合いをしておりました。
 四十九日の法要の前夜、札幌から来た友人と京都の町を歩きながら、
「あいつと行ったところはどこだったっけ」、
「あの美味しかったお店はどこにあるのだろう」と、
彼の道案内が当たり前だった京都で、行きたいところが見つからず、
華やぐ京都の夜の町が、暗く寂しいものになってしまいました。
 〈死んでしまえば終わりです〉
夫婦であれば、結局は他人、いずれ“時間”というものに癒され、
もしかしたら再婚ということになるかもしれません。
しかし肉親の両親、特に幼い子供にとっては、
“時間”は解決にならず、一日一日、悲しみが増し、
寂しさが募ることになるようです。
法事の後の会食の間、中学生の彼の息子は、
久しぶりに会った彼のいとこたちと遊び転げながらも、
誰に言われたわけでもないのに父親の遺影に幾度となくビールを注ぎ換え、
その彼の小さな肩が震えるのを、私は見ていました。
そして法事の最後の最後に、彼は10分間程の沈黙の後、
大きな声で一気に言いました。
「きょうは皆さん、来てくれてありがとうございます。
 僕は大きくなったら、お父さんの後を継いで、歯医者になります。
 お墓ができたら、お父さんに会いに来てください。
 …ありがとうございました!」
彼が歯科医になる事を友人が望んでいたかどうかは知りませんが、
きっと彼はお父さんが喜んで、笑ってくれると思ったのでしょう。
こんなけなげな息子を残して旅立った友人の無念さに心が張り裂け、
涙が流れました。
彼が私たちにしてくれたように、これからは彼の家族と親しく力になり、
付き合っていこうと思います。
隣にいた札幌の友人が言いました。
「天井さん、僕が死んだら、僕の家族もよろしくね!」
「ばかな事言わないで! でも突然死の為に心の準備は必要ね。
 何か書き残さないと」
最初から、こんな事を書くことになろうとは思っておりませんでした。
でも、まず生きている上で、一番大切な事からという思いで
書いてしまいました。
 これからよろしくお願いいたします。

  カテゴリ:天Mama Style

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