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人生相談

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記録を破る晴天高温続きの夏が過ぎたとたん、台風の連続到来で、
秋の夜長を味わう風流も消えてしまいました。
そしてそんな台風のため、山の食べ物がなくなり、多くのクマが冬眠を前に人家近くに出没し、
人は襲われ、クマは殺されてしまいます。
ケガをされた方はお気の毒ですが、そうまでしてエサに捜さなければならないクマが可哀相です。
「クマにどんぐりを!」
と愛護団体の呼びかけで山のようにどんぐりが集まったそうで、
同じような想いの人々がいることを知り、少しホッとしています。
それにしても、なんだかいろいろなことがチグハグです。
この原稿を書いている最中に、今度は地震です。
「オットット、オットット! 震源地はどこだ!! 新潟だ!!」
電話回線はパンクしてしまっているようで、友人につながりません。
日本シリーズを楽しむつもりが、地震情報に乗っ取られました。本当に何がどうなっているのでしょう。
先月、そういえば、私のところに、ある女性歯科医が相談に来られました。
年齢42歳、バツ2、子どもなし。美人です。
私は”太木数子”になったつもりで聞きました。
「何の相談でしょう」
「先生の講演聞いて、女も開業できるんだと勇気づけられました。
 私、開業したいんです。
 それと、先生にお会いしたかったのです。」
「ところで、あなたはあと何年働けますか?
 開業にいくらかかると考えていますか?
 子どもも家族もいなくて、ひとりきりの孤独に耐えられますか?
 結婚願望はありますか?
 今、預金はいくらあるのですか?」
「エッ・・・・・・」
そして”太木数子”は答えたのです。
「今、42歳ですから、とりあえず20~30年は働けるでしょう。
 しかし、後半は目も悪くなり、疲れやすくなり大変ですよ。
 開業資金も最低3000万円は必要です。
 しかしそれは当面のことで、運転資金、家賃、
 スタッフの給料を考えると、それ以上になりますよ。
 それに、家族も子どももいなくて、何のために借金に追われるのですか?
 ”何のために働くか”考えましたか?借金を返済しおわったら、もう老後の心配ですよ。
 それも老後まであなたが生きれいればの話で、開業というストレスで死んだらどうするのですか。
 それほど、いざ開業してみると後悔の連続です。
 それより、今の勤務医としての立場を確立し、一生懸命働いて、いっぱい預金して、
いろいろと楽しいことにお金を使ったほうがいいと思いますよ」
私は自分のことを女性歯科医たちの応援団長と豪語してはばからぬほど、
いつも「頑張れ、頑張れ」と言っています。
でもそれは、「開業しなさい!!」と言っているわけではありません。
多様化している世の中で、働く女性として、いかに自覚を持ち、
しっかりと生きているかが大切であり、開業することが目的ではありません。
むしろ、結婚生活を維持したい、結婚をしたいと考えているうちは、決して開業はしないことです。
結論から申し上げれば、”女でも開業できる”ということではなくて、”私だから開業できた”ということです。
”太木数子”は時々、”みのもんこ”にもなります。
最近は男性の歯科医の方にも「オヤ?」と思う方が増えました。
45歳、独身、父親とふたり暮らし。面接にセーター姿で現れました。
「ところで、電話口ではモゴモゴした話し方でしたが、いつもそうなのですか?」
「あの時は起きぬけで、それに僕は低血圧なのでモゴモゴしていました」
「でしたら、起きぬけに電話をかけないことですね。
 それに今もモゴモゴなさっていますよ。
 もう少ししっかりとした話し方をマスターして、出直してください!」
暇な私は採用面接が大好きです。
どなたか「我こそ!」と思われる方、ぜひ採用面接(人生相談)にいらしてください。
”太木数子”か”みのもんこ”がタダで楽しく話しに乗ります。
ついでにひと言。
私は決して恐い人ではありません!
というわけで、ただ今、歯科医師、歯科衛生士を募集中です。
くわしくはホームページをご覧になってください。
さて、今回で私の連載は一応お休みすることになりました。
今まで楽しみにしていてくださった多くの方々に心から感謝し、お礼を申し上げます。
またどこかでお会いできますことを楽しみにしています。
「ホームページで逢いましょう」

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インド旅行記

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インドのニューデリーで開催されたFDI(国際歯科学連盟会議)に出席し、
その足でちょっとインド巡りをして帰ってきましたが、疲れが出たのか風邪を引き、
1週間もたつのにまだ熱が下がりません。
俗にいう、遊び疲れなのでしょうが、風邪だと大きな声では言えず・・・・・。
言いたくても声が出ません。
私がまだ20代の頃、ヨーロッパへ放浪の旅に出て、
その帰りにインドの夜明け前の薄暗い朝もやの空港に降り立つと、バラック小屋があるだけでした。
飛行機から歩いて小屋へ行き、入国手続きをすませて外へ出ると、
十数人の子供たちが近寄り、手を出し金をせびります。
私は小屋の中にいた男の人に教えられたジャンパトーホテル(国営で今も運営されています)へ行くように、
ボロボロのタクシー運転手に告げました。
舗装されていないデコボコ道をしばらく走っていると、はるか地平線から太陽が昇りはじめました。
今まで地平線から昇る太陽を見たことがないことに気づくとともに、
その太陽のあまりの大きさにびっくりしたことを覚えています(赤道直下の太陽は大きいのです!)。
そして、32年後の今回、あらゆる期待を込めて空港に降り立ちました。
もちろん空港は立派になっており、道は舗装され、はるかかなたにあった地平線は建物がさえぎり、
以前の面影は見当たりません。
さっそく私と娘は、常識的に言えばたいそう危険なことらしいのですが、デリーの隅々まで見てまわりました。
そして、あの忘れもしない砂ぼこりにまみれた喧騒を、オールドデリーの中に見つけたのです。
混沌としたオールドデリーの地の底から沸き上がってくるようなエネルギーは、
昔と少しも変わっていませんでした。
学会が終わったので、車とガイドをチャーターし、ジャイプールまで280キロの道を走りました。
昔、この町は歓迎の色のピンク一色にすべてが塗られていたので、別名”ピンクシティー”ともいいます。
歴史が残したものにはいつも感動させられますが、
想像からまったくかけ離れた歴史には、感動より驚きをおぼえます。
とくにジャイプールの次に行ったアグラの町の代表的建築物”タージマハール”には、
開いた目がふさがりませんでした。
真っ白の大理石で造られたタージマハールは、気品にあふれ、実に美しく、
紺碧の空にそれはそれは映えるのです・・・・。
王様が死んだ妃のために造ったものだそうです。
「死んだ人のためにこんな贅沢なものを造らなくても・・・・・」という下世話な考えはブッ飛び、
「さすが遺跡の中の最高峰!」と納得させられる神々しさでした。

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老いてこそ人生

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やはり、スポーツはリアルタイムで観るのが一番と、
可能なかぎり夜中から始まるアテネオリンピックの競技を観てしまうと、
感動は受けるのですが、次の日のつらいこと、つらいこと。
そんなこんなで、最近ちょっとボーっとしています。
それに今年の夏の異常な高温続きは、日焼けが大好きな私にとっては嬉しいのですが、
庭の植木の悲鳴が聞こえるようで、朝晩水やりが大変です。
このような<理由のあるボー>は、この原稿が皆さまの目に届く頃には秋風の真っ只中で、
「今年の夏は暑かったねぇ~」と、なんとなく淋しい思い出になっているのでしょうね。
つまり時の流れはそんなものなのですから、この暑さもアテネオリンピックも、
一期一会の心意気で乗り切りましょう。
それにしても、今年のオリンピックのメダルの多さに驚くとともに、父子鷹のカップルが目立ったことが意外でした。
恐そうなお父さんに一生懸命従う息子、娘たちだなあと思いながら見てましたが、
あれは命令ではなく、息子、娘たちのやりたい意欲を父親が伸ばしている結果の結びつきのようです。
強い父。
その父に従い、越えようとする息子、娘たち・・・・。
最近のちまたではまったく目にしない光景に、競技以上に感動してしまいました。
やはり父親は、子供たちにとって強くて偉い人でなくてはならないですよね。
というわけで、どの患者さんともオリンピックの話で盛り上がりました。
きれいごとを言ってみても、スポーツは勝つことに意義があるのですがら、今年はいつもより話題がはずみます。
そんなある日、お嫁さんの紹介で、お年を召されてはいますが、
おじいちゃまとお呼びするのが失礼なほどお元気なMさんという方が来院されました。
 「どうなさいましたか?」
 「ものをおいしく食べたいんじゃが・・・・」
 「今入っている入れ歯は、いつ頃作られましたか?」
 「10年以上も前になるかな」
 「下の入れ歯はどうなさいましたか?」
 「痛くて入れたことがない」
 「それじゃあ、上の入れ歯はガタガタですね。よく我慢なさいましたね」
 「・・・・フム。たしかに困っている。
  そこでだ、最近、石原慎太郎が書いた『老いてこそ人生』を読んで、そうじゃ、
  わしも”老いてこそ人生”をやりたくなって、
  そのためにまずメシを食わねばと思って、入れ歯を作る気になったんじゃが」
 「それはたしかにごもっとも・・・・・。それならばなおのこと、ちゃんとかめる、いい入れ歯を入れましょう」
 「問題はそこじゃ。いったい、いくらくらいするものかい?」
 「上は□□円くらい、下は△△円くらいですね」
 「その、ちょうど真ん中くらいはないのかね」
 「寿司屋じゃあるまいし、<松><竹><梅>とはいきませんよ。
  
  私の場合、<ピン>と<キリ>しかありませんよ。
  
  だいたい日本人はすぐに”とりあえず・・・・・”と真ん中を狙いますが、
  お見受けするところ、Mさんはたいそうお元気ですし、
  ましてや”老いてこそ人生”を実践なさろうとお考えなのに、なにが”真ん中!!”ですか!?」
 「いやいや、じつを言うと、わしはお金をムダには使いたくないだけのことじゃ。
  ところで先日、ここを下見に来たが、3階の診療室というのも、なかなか眺めがよくていいもんだね。
  それに、女の先生というのも初めてで、ちょっと驚いたわい。
  男っぽいし、これからここへ来るのが楽しくなりそうじゃ」
 「私も楽しくなりそうです」
 「ついでに言っておくけど、わしはホテルと病院にはいまだかつて泊まったことがないんじゃ」
 「ホテルと病院?
  じゃあ、女の部屋には泊まったということですか?
  そして、そこで入れ歯で困ったことがあったとか、なかったとか・・・・?」
 「ムムム・・・・。よし、わかった。あんたの作る入れ歯に賭けよう!」
 「それはありがたいのですが、それより入れ歯に賭けないで、私に賭けてくださいよ。
  そのほうが有意義だと思いますよ」
 「勘弁、勘弁!!」
このMさんは79歳。来月80歳になられるそうです。
皆さん、負けてはおれませんね。
がんばりましょう!

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殺し文句

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上の前歯が4本ほど、下の歯もまばらにチラホラ・・・・・
それらが全部(全部でも10本ほどですが)グラグラです。
 「全部抜いてください」
 「・・・・・・・・」
歯を抜くことが商売の私にとっては、いとも簡単なことではありますが、
言葉にならないとはこのことです。
このような患者さんにめぐり合ったとき、
以前の私は「なぜもっと早く治療に来られなかったのか」と患者さんを責め、
どうにもならないお口の状態にアイソをつかしたものでした。
しかし、最近は一呼吸置き、長い沈黙ののちに
 「いったい、何があったのですか?」
 「そんなにお仕事がお忙しいのですか?」
 「ここまで我慢なさった理由を教えていただけませんか?」
 「もしかしたら、歯医者さんのいないところに住んでいらしたのですか?」
 「体に力が入りますか?毎朝、いきいきと目が覚めますか?」
と、患者さんが、ここまでのお口の状態を悪くした根本的な理由、
その生活背景を徹底的にたずねます。
なぜなら、理由の確認がないとどんな治療をしたところで、結局”元の木阿弥”なのです。
つまり、理由・原因の再確認のない患者さんは、
必ず治療の途中で来られなくなってしまいます。
そこで、治療を途中で放棄されないためにする努力を例としてあげてみます。
A. 年老いた両親の看護が忙しくて来られず、2人の葬式を終えてやっと来院された方には、
  いろいろな面で励ましながら治療を進めます。
  ときどきは思い出話だけで帰られることもありますが、
  治療が終わる数ヵ月後には、別人のように明るく美しくなられました。
B. 歯医者さんが怖い」という恐怖心から治療に来られなかった方には、
  とにかく説明にしっかりと時間をかけ、納得してもらい、
  あくまで患者さんのペースで運びます。
C. 仕事が忙しかったから」という本当なかもしれませんが、
  たんなる言い逃れ的な理由を言われる方には、同情しつつ話をすすめ、
  忙しいからこそ、体を大事にするために歯の治療を受けることが
  大切であることを訴えます。
D. 行き当たりばったりに、ただ突然痛いからと来院された方には、
  私のところへ来られたことは人生最大の幸運であったことを教えてあげます。
E.「とりあえずこの歯だけお願いします」と言われる方には、
  本当にその歯だけしか治療をしません。
  そして、その歯の治療が終わったときに、必ずイヤミなひと言を言うことにしています。
 「今度、他の歯が悪くなっても、知りませんからね」
 
 「ハッ?」
 「私はこれでも歯医者の端くれですので、
  悪いとわかっている歯を見過ごすことはできません。
  つまり、このまま治療を中断することは不本意ですので、
  次回は違う歯医者を見つけてやってもらってくださいね」
  すると患者さんは、顔色を変えて考え込み、
  必ずこれからも通院されることを誓われます。
私って最近もしかしたら、改めて歯医者の原点に立ち返ろうとしているのかもしれません。
まず、患者さんの立場を理解し、あるときは同情し、
そして最後は医者らしく本当のことを言う。
私のやり方が良いか悪いかは別にして、
患者さんと歯医者さん双方の努力の結果が治療の完結なのですから、
まずお互いの立場を理解することから始めなければ、良い治療はできません。
10年遅いスタートから歯科医師になり、22年を迎えます。
本当に毎日が試行錯誤の泥沼です。
またそのことを意識できるうちが現役だと思っています。
このような意識がないと仕事がつまらなくなります。
つまり、仕事の達成感は困難が大きいほど嬉しいものなのです。
マッ、当たり前と言えば当たり前ですね。
どのような先生が良い先生かは、私を含めあまりわかりませんが、
「この先生だ!」
と思えるいい先生にめぐり合ったときに、
その先生を上手に乗せていい治療を受ける方法をお教えします。
先生の説明を受けた後、ひと息おいて、
 「先生!わかりました、おまかせします!
  好きなようにやってください!
  そして、よくかめて美しい歯をお願いします!」
この言葉は歯科医師に対しての<殺し文句>です。
タイミングよくお伝えください。
さあ、今日もがんばろうっと!

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夢の現実

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私の人生は30年周期です」と言うと、たいていの方は訳のわからない顔をされます。
この<人生30年周期>とは、偏見に満ちてはいますが、
私個人にとっては確固たるものなのです。
つまり、産まれて30歳までが<人生の第一期>で、ここでは経験を積み、
悩みに悩む時期なのです。
私の場合、人との付き合い、友人関係、やりたいことへの模索、
長期の海外放浪、結婚、出産、離婚・・・・・・と、悩みと失敗のくり返しでした。
今思い返しても、若さにはなつかしさを覚えますが、
もう一度この時期に戻りたいとは思いません。
30歳になり、<人生の第二期>を迎えると、いろいろとあったものの運命だったかのように、
歯学部へ入学しました。
そして36歳で卒業すると、”渡る世間に鬼はおらず”、
2つの診療所を持ち、住みかを手に入れ、娘は歯科医師になり、
尊敬すべき師と多くの友人に恵まれ、世の中が一気に広がりました。
この時期は努力と爆進、世間と自分との勝負の時期だったように思います。
その努力や勝負にアタフタするうちに、
アッという間に第二期の終わりに近くなってしまいました.。
(今のところ56歳です)
私は常に人生の目標がないとダメな人間のようです。
そのため、次の<第三期>をどう生きようかと日々考えておりました。
今までにも、何度かそのことについて書いたように思いますが、
目標が仕事に結びつくものはひとつもなく、
「外国で暮らしたい」とか「ボランティア活動をやりたい」というように、
夢のまた夢のように漠然としておりました。
ところが、今年のお彼岸を迎える頃、
友人から銀座のど真ん中のテナントを紹介されたのです。
聞くなり、やりたくてやりたくて仕方がない気持ちが抑えられません。
そこで、ときどき登場する霊感鋭いYさんにおうかがいをすると、
 「天井さん、今日はお彼岸です。
  ご先祖様があなたの背中を押してくださっていますよ。
  頑張ってみてはいかがですか?」
私を育ててくれた「ときわ歯科」は大好きです。
でも、時の流れで、ビルの下はコンビニになり、通る人の層が変わり、
私のやる気も変化してしまいました。
そろそろ、現実的にも<第二期>の終わりが近いのかもしれません。
先ほど、まるで私の気持ちを見透かすかのように、
久しぶりの患者さんが飛び込んでこられました。
 「先生の本を読んでいたら、もしかしたら、
  どこかへ行ってしまうのではないかと心配になって来てみました。」
 「あったり!近いうちに銀座に出ますよ」
 「やっぱり!行きます。行きます」
 「ありがとうございます。でも、どうしてわかったのかしら?」
 「先生はそういう人なんです。」
なんだか、患者さんに自分のことを教えられてしまいましたが、
長い付き合いとはありがたいものです。
私は銀座の診療所を、私なりの、私のための診療所にしようと思います。
今までもそうであったように、明るく、楽しく、心地よく、
患者さんは歯科医院にいることを忘れ、
私も仕事をしているよりも一番好きな事をしている気分になれる、
そんな診療所を作るつもりです。
 <夢の実現>
今、まさにその過程にいます。
今までの夢のまた夢をあきらめたわけではありませんが、
これからの10年は、残っている元気を仕事の夢に使ってみることにしました。
なんだか、定年間近に転職したサラリーマンのような心境がしないでもありませんが、
仕事にやる気が出るのはいいことです。
大学を卒業してすぐに、仕事と勉強のために東京へ出てきました。
勉強の師匠(河辺清治先生)は、銀座の真ん中で開業しておられました。
私はいつか、自分もこの銀座に診療所を持ちたいと儚く(はかなく)も思ったものです。
<人生の第三期>は、思いがけずその儚い夢の実現です。
望まなければ叶いません。
結果はどうあれ、夢は今、叶いつつあります。
叶う嬉しさにワクワクしています。
 どうせみるなら夢のまた夢
 どうせ散るなら銀座で咲いて・・・・
 銀座で散ろう・・・・
カッコいいなあ~・
久代ちゃん、頑張れ~。

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贈り物

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上の歯も下の歯もほとんどメチャメチャ・・・・・・・。
一体どうしましょうと思ってしまうKさんが来られました。
御年71歳。付き添いの方に支えられ、ヨロヨロです。
そして、やけっぱち、捨てバチに、
「わたしゃ、どうでもいいんだよ。
でも息子たちがうるさくってさ。とりあえずここに行けというからきたのさ」
間合いを計ったかのように、その息子さんのお嫁さんから電話が入りました。
「とにかく入れ歯を入れてください。
 そのままじゃあ、みっともないのでお願いします。
 何か失礼なことを言ったり、したりしたらお電話をください。
 よろしくお願いします」
「ハイ、わかりました」
どうも口だけは達者な方のようです。
「今、息子さんのお嫁さんから心配の電話が入りましたよ。
 お優しい方々ですね」
「知るかい!人のことより、自分のことでも心配してな!」
「そんな事おっしゃらずに・・・・・・。
 
 ところで入れ歯はどうしましたか?」
「捨てたよ」
「どこに?」
「忘れた!」
「では、まず急いで<とりあえず入れ歯>を作ります。
 10歳は若くなりますよ。
 それでしばらく我慢していただいて、お口の中が落ち着いて、  
 傷が治ったら、改めてちゃんとした入れ歯を作りましょう。
 そうすると、さらに10歳は若く、美しくなりますよ」
「そんなに若くなってどうするんだい?」
「付き添いなしにお出かけをしたり、デートでも楽しめるじゃあないですか」
「それもそうだね」
それから3ヶ月が過ぎました。
ボロボロの歯は抜き終わり、<とりあえず入れ歯>も落ち着きました。
途中、滑った転んだで、顔に青アザを作ったり、ネンザしたりと、何かと大仰でしたが、
最初の頃のパジャマの上にセーター姿のKさんは、
最近モダンな帽子にジャケットとスラックスという出で立ちになり、
確実に10歳は若くなりました。
「あーら、今日も素敵ですね」
「何言ってんだい、そこら辺にあったのさ!」
「そこら辺にそんなにいいものがあるなんて、幸せですね」
「若いのには内緒だよ。うるさくってさ」
「何がですか?」
「なんでもないよ」
「ところで来週から私はハワイへ行きますが、何かお土産でも買ってきましょうか?」
「そうだね。美味しいマカデミアンチョコだったりしてね」
「わかりました。忘れないようにしましょう」
私はハワイからの帰りの空港で、忘れそうになったチョコを走りながら買い戻り、
飛行機に飛び乗りました。
10日ぶりにKさんが来院されましたので、お渡しすると、
「あら、いやだね。本気にしてたんだ」
「ええ。でもほんの少しですみません」
そして、今日、私は彼女から大きな紙袋をいただきました。
中には花柄・シマ柄の<ぞうきん>がいっぱい入ってます。
「エ~どうしたのですか、この<ぞうきん>は?」
「私が縫ったんだよ。チョコのお返しだよ。息子たちには内緒だよ。
 勝手なことをしたと言って、怒られるからね」
「何が勝手なものですか。こんなに素敵なお返しは初めてです」
「そうだろう。それに全部新品のタオルだよ。
 ちょうど、このくらいの厚さが一番使いやすいんだから。
 でも手が悪いからあまりうまく縫えなくて・・・・・。
 そんなにジロジロ見ないでおくれ!」
ちなみに息子さんは実業家で大金持ちです。
でも息子さんは息子さん、KさんはKさんなのです。
「歯医者へ来るのが楽しいなんて、変なもんだね」
とつぶやきながら照れ笑いを浮かべて、トットと帰ろうとする彼女の後姿には、
もう付き添いの必要など微塵もありませんでした。
私はKさんが最初から大好きでしたが、今日はもっともっと好きになりました。
必ずいい入れ歯をお作りして、早く10歳若くしてさしあげたいものだと改めて思ったのです。
人さまに贈物をする時は、本当に悩むものです。
私はどうしたら相手がびっくりしたり、喜んでくださるかを考えて
選ぶように心がけています。
犬を飼っておられる方には、その犬種のハンカチ、レターセット、
カップなどばかりを集めてセットにしたり、
旅行先で撮った写真を贈る時は、その中で特に素敵なものを額に入れてさしあげたり...
そして、花束を贈る時は、相手に似合う色を考えて、必ず自分で花をチョイスします。
先日、私は赤い色の花ばかりを集めた情熱的な花束をいただきました。
誰からいただいたかは、むろん内緒です。
すごく嬉しくて、そのままドライフラワーにしています。
やはり贈物の一番は花束ですね。

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娘の話

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ハワイの空はあいかわらず抜けるように青く、海風のそよぐ浜辺は、まさに地上の楽園です。
大学を卒業したばかりの娘を海外へ出して、すでに3年以上が過ぎました。
その間に、勉強が大嫌いだったはずの娘は、トロント大学で、
生まれて初めて自ら勉強に打ち込み、今年は、
ハワイで開かれたIADRの学会で発表するまでに至りました。
北海道医療大学歯学部へ入った時、私は30歳、両親に預けた娘は2歳そこそこでした。
そのため、彼女は私の母を実の母親と思っていたようで、
大学の休みに帰ってきた私を「お姉ちゃん」と呼びました。
そのうち、休みが終わる頃になると、「ママ、ママ」と1日中私を追い回し、
大学へ帰る日(車を運転してフェリーで往復していた)、
ハンドルを握った私は、思わずワイパーを動かしていました。
雨ではなく、涙だったのに・・・・・・。
振り向くと、小さな娘は大きなタオルで顔を隠し、全身で泣いているのです。
こんな私たちを見るにしのびず、母は私に「帰ってくるな」と言いました。
そんな6年が過ぎ、卒業すると同時に、私は入れ歯の勉強のため東京へ出ました。
その時、小学生になっていた娘は泣きながら怒り、こう言ったのです。
「ママ、私はママを6年間待ったのに、どうして帰ってきてくれないの。
どうして東京へ行くの?」
絶句状態になりながら、私は答えました。
「ママは、どうしてもやりたいことがあるの。
それは、今やっておかないと、あらためてできないことなのよ。
あなたが大きくなったとき、ママなんかよりもっともっと好きな人ができたり、
やりたいことがでてきたら、ママは誰よりも何よりも応援するから、
今はあなたがママを応援してほしいの。わかってね。お願い!」
「いやだ、いやだ! そんなのいやだ! わかんない!」
それでも私は東京へ出ました。
2年間のつもりでした。
が、気がつくと、20年を過ぎてしまいました。
ある時、娘の小学校の運動会に合わせて実家へ帰り、朝からお弁当を作り、
応援に行きました。
クラスごとに大応援です。
お昼時になりました。
すると、子供たちは親のひざにベッタリと座り、嬉しそうにお弁当を食べ始めます。
と、娘は、私の作ったサンドイッチをみんなに配りながら、わざわざ言いました。
「ママが作ったの、ハイ!」
「ママが作ったの、ハイ!」
娘はいつも、どんな気持ちでお弁当を食べていたのでしょう。
確かに私に代わる母が来てくれていたとは思いますが・・・・・。
「よかったね。今日はママと一緒なのね。これはおばちゃんのところのおにぎりよ。ハイ!」
「ありがとう」
すまないことをしている私を、だまって許してくれている娘の背中を
力いっぱい抱きしめてやりたい衝動で、涙があふれました。
時々、娘は学校が休みに入ると、東京の私のところへ出てきました。
そんな時、夜、8時、9時まで働く私を待ちくたびれて院長室で寝ている娘を見るに見かねて、
患者さんがご自宅へ連れて行ってくださいました。
そして夕食を食べさせて、遊んでさえくださったのです。
ハワイで久しぶりに会った娘はすっかり大人っぽく見えました。
私が持っていったスーツを着て質問に答えています。
が、突然「質問が恐い」とどこかへ逃げていってしまいました。
「ママが代わりに答えておいてよ」と捨てゼリフを吐いて。
つまり私が期待していたほど、あまり成長はしていないのかもしれません。
でも<不憫>というカケラのひとかけもない楽しそうな娘を見ていると、
私は嬉しくなりました。
時差ボケで診療をしていると、娘をよく知る患者さんに言われました。
「いつ日本に帰っていらっしゃるんですか?
帰ってこられたら、ちらし寿司を作ってきましょうね」
「まあ、ありがとうございます。
娘はIさんのちらし寿司が大好きですから、喜ぶと思います。」
私は娘にとって決していい母親ではありませんでした。
私の友人は皆、「あなたが育てなかったから、いい子に育ったのよ」と言います。
確かに私は自分自身の生きがいを見つけることにいつも一生懸命で、
娘を生きがいにするほどの余裕はありませんでした。
そして、完璧なまでの反面教師だったと思います。
でも、この思いきりの良さで、ある時、娘にこう言われました。
「ママ、ママは本当は男じゃあないの・・・・・・? いつ手術したの?」
「いつからそんなふうに思っていたの?」
「ずーっと前から」
「アタリ!! ママは本当は男よ!」
「ギャー、やっぱり男なんだ!!」
「アホか!!」

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ボランティア

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「先生、今回はどこへ行ってきたのですか?」
と、患者さんに5日間(実質的には3日間)診療所を閉めていた理由を聞かれました。
「セブにボランティアに行っていたのです。。」
「フィリピンのセブですか?それじゃあ、やっぱり遊びですね。」
「とんでもない!2日間で1200人ほどの治療をしたのですよ。」
昨年の秋、バンコクで歯科診療のボランティア活動(KADVO)に参加し、
帰国後、その話をスタッフにすると、彼女たちは初めての海外旅行を、
今回のセブへのボランティア活動への参加にしたのです。
おかげで当医院は休診ということになってしまいました。
彼女たちの言い分はこうです。
「今までは、どうしても海外へ行きたいという気持ちが湧かなかったのですが、
今回のセブは遊びじゃなくて目的がはっきりしていることと、
院長のバンコクでのボランティアの話があまりに楽しそうだったので、
私たちも参加したいと思ったのです。」
と、言われれば、サッサと休診のお知らせを貼り出す彼女たちに、
私は何も言えませんでした。
現地では、患者さんたちが一生に一度しか受けられないかもしれない歯科治療を受けようと、
暑い中、長蛇の列を作って待っていてくれました。
私たちは、野戦病院よりは数段ましな設備を急設し、
(誰も野戦病院の経験がないのに、勝手にましだと思っている)、
抜歯や虫歯の治療、そして歯石の除去を、現地の歯科医師と組んでペアでやります。
現地語が出来ない私たちとしては言葉の点において、このほうがやりやすいし、
患者さんにも安心感を与えます。
が、現地の歯科医師とは英語での会話になります。
しかし、どっちみちやることは同じなので、理解に苦しむことはありません。
私は昔から、戦地での医療活動にあこがれていたので、こういう所で働くのは大好きです。
トレードマークのライオンヘアーを、スカーフでターバン巻きにし、
時間ごとに変化する現地の挨拶の言葉を、受付のテーブルに貼ってもらい、
現地語で挨拶すると、みんなびっくりしていました。
日頃、経営と治療のハザマで悩んでいる日本での歯科事情からみると、
無償の治療はなんだか心地よい気分です。
大義名分も、報酬も無視して、ただ目の前にいる人と接する。
治療であれ、教育であれ、何であれ・・・・。
つまり、私に言わせれば、”ボランティアは大人の究極のお遊び”のような気がします。
そして志しを同じくした仲間たちとの治療は、とても楽しいものでした。
1日だけあった自由行動の日に、私たち3人は、
現地に駐在している歯科衛生士さんに、町の中を案内してもらうことにしました。
教会の広場では、親も家もないストリートチルドレンと呼ばれる子供たちを、
彼女の友人たちがたらいで水浴びをさせていました。
月に1~2回のボランティアだそうですが、
最近、子供たちは自分たちで自分の身体をきれいにするようになったそうです。
その中には、生きているのが不思議に思える口蓋裂の4ヶ月の赤ん坊もいました。
みんなであやしています。
私たちが近づくと、駆け寄り、一緒に写真を撮ってくれと言います。
私は写真を撮りながら、彼らの輪の中で連れてきた私のスタッフの
ボー然とした顔を見てしまいました。
表情を失った彼女の瞳が、あきらかに動揺しています。
私は急に胸が熱くなりました。
何もしてあげられないストリートチルドレンたちに、
声をかけてあげることができないスタッフに・・・・。
なぜか私が先に泣いてしまいそうになって・・・・涙を止めました。
見たこと、やったことを人に話すことはできますが、
心が熱くなったことをどう表現すればいいのでしょうか?
いまだに大人になりきれていない私は(ウッソ-)、現実との直面にはなぜか弱いのです。
今年も年明けから全開で働いています。
「先生、痛くて痛くて、5日間待ち遠しかったですよ。」
「先生、これ以上勝手に休まないでくださいよ。」
「先生! 先生! 先生!」
何はともあれ、”経験”っていいですねぇ・・・・・。
とくに、いくつになっても”初体験”には心が踊ります。
ウフフフフ・・・・・。

 カテゴリ:ジャンヌダルクは燃えている

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