「先生、今回はどこへ行ってきたのですか?」
と、患者さんに5日間(実質的には3日間)診療所を閉めていた理由を聞かれました。
「セブにボランティアに行っていたのです。。」
「フィリピンのセブですか?それじゃあ、やっぱり遊びですね。」
「とんでもない!2日間で1200人ほどの治療をしたのですよ。」
昨年の秋、バンコクで歯科診療のボランティア活動(KADVO)に参加し、
帰国後、その話をスタッフにすると、彼女たちは初めての海外旅行を、
今回のセブへのボランティア活動への参加にしたのです。
おかげで当医院は休診ということになってしまいました。
彼女たちの言い分はこうです。
「今までは、どうしても海外へ行きたいという気持ちが湧かなかったのですが、
今回のセブは遊びじゃなくて目的がはっきりしていることと、
院長のバンコクでのボランティアの話があまりに楽しそうだったので、
私たちも参加したいと思ったのです。」
と、言われれば、サッサと休診のお知らせを貼り出す彼女たちに、
私は何も言えませんでした。
現地では、患者さんたちが一生に一度しか受けられないかもしれない歯科治療を受けようと、
暑い中、長蛇の列を作って待っていてくれました。
私たちは、野戦病院よりは数段ましな設備を急設し、
(誰も野戦病院の経験がないのに、勝手にましだと思っている)、
抜歯や虫歯の治療、そして歯石の除去を、現地の歯科医師と組んでペアでやります。
現地語が出来ない私たちとしては言葉の点において、このほうがやりやすいし、
患者さんにも安心感を与えます。
が、現地の歯科医師とは英語での会話になります。
しかし、どっちみちやることは同じなので、理解に苦しむことはありません。
私は昔から、戦地での医療活動にあこがれていたので、こういう所で働くのは大好きです。
トレードマークのライオンヘアーを、スカーフでターバン巻きにし、
時間ごとに変化する現地の挨拶の言葉を、受付のテーブルに貼ってもらい、
現地語で挨拶すると、みんなびっくりしていました。
日頃、経営と治療のハザマで悩んでいる日本での歯科事情からみると、
無償の治療はなんだか心地よい気分です。
大義名分も、報酬も無視して、ただ目の前にいる人と接する。
治療であれ、教育であれ、何であれ・・・・。
つまり、私に言わせれば、”ボランティアは大人の究極のお遊び”のような気がします。
そして志しを同じくした仲間たちとの治療は、とても楽しいものでした。
1日だけあった自由行動の日に、私たち3人は、
現地に駐在している歯科衛生士さんに、町の中を案内してもらうことにしました。
教会の広場では、親も家もないストリートチルドレンと呼ばれる子供たちを、
彼女の友人たちがたらいで水浴びをさせていました。
月に1~2回のボランティアだそうですが、
最近、子供たちは自分たちで自分の身体をきれいにするようになったそうです。
その中には、生きているのが不思議に思える口蓋裂の4ヶ月の赤ん坊もいました。
みんなであやしています。
私たちが近づくと、駆け寄り、一緒に写真を撮ってくれと言います。
私は写真を撮りながら、彼らの輪の中で連れてきた私のスタッフの
ボー然とした顔を見てしまいました。
表情を失った彼女の瞳が、あきらかに動揺しています。
私は急に胸が熱くなりました。
何もしてあげられないストリートチルドレンたちに、
声をかけてあげることができないスタッフに・・・・。
なぜか私が先に泣いてしまいそうになって・・・・涙を止めました。
見たこと、やったことを人に話すことはできますが、
心が熱くなったことをどう表現すればいいのでしょうか?
いまだに大人になりきれていない私は(ウッソ-)、現実との直面にはなぜか弱いのです。
今年も年明けから全開で働いています。
「先生、痛くて痛くて、5日間待ち遠しかったですよ。」
「先生、これ以上勝手に休まないでくださいよ。」
「先生! 先生! 先生!」
何はともあれ、”経験”っていいですねぇ・・・・・。
とくに、いくつになっても”初体験”には心が踊ります。
ウフフフフ・・・・・。
ボランティア
2008年5月1日 カテゴリ:ジャンヌダルクは燃えている